カテゴリー: 哲学的なアレ

  • 分かることは分けること …って言葉知ってる?

    人材派遣だか、サイトのAI化だとかってことで営業電話かかってくるんだけどさぁ、何で営業さんて現場に行ってお客さんのシゴト一緒に手伝って、「課題を拾って帰る乞食仕事」をしないんだろうな。ほんとに価値があるのに…

    電話口でお客さんが課題を懇切丁寧に、ソチラが理解できる”言語”を使って説明して、挙げ句お金払っくれると思ってんだろ?なぁ? 農家だからチョロいと思ったか?ん?ねぇどんな気持ち?ねぇってば。

    知らんかもしれんから、今回特別に無料で解を表現するとソレ、「お客さんが課題を言語化できて、他者に説明できるんならば、お客さんが自分で課題解決できるからな」┐(´д`)┌ (分かることは分けること からの当然の帰結)

    日本の失われた30年て、概ね全業種の営業職が正しく機能してないタイコモチみたいなことばかりやってたからなんじゃね?って80%くらい思ってて。

    トルネコぉ、頑張れな~

  • 飽きてからが プロの仕事

    スマノーも、ドローンも、自動トラクターも
    導入実績がある御所は心当たりがあると思うが

    目新しい新技術・新事業はリソース全体が「励起」状態にあるため
    当事者も含め全ての人間がその対象に”興味関心”があるような「気がしているだけ」

    基底状態で「興味関心」を持ち、そして「調査研究」「試行錯誤」へ進んでこそプロの仕事、プロのアウトプットに通ずると心得よ

  • 母数

    母数

    どっかで聞いた落語のマクラ

    A:「どうです?釣れますかな」

    B:「やー、マッタクですわー」

    A:「でしょうなぁ。その池昨日の雨でできたばかりですからなぁー」

    魚が居るところで釣り糸を垂れないと
    釣れるわけ無い

    繰り返す。
    魚が居る所で釣りをしよう

    どんなにリソース掛けて最新鋭の”手段”を揃えたところで、”目的”の魚が居ないところに向けて釣り糸垂れても意味がない。何が馬鹿なのか、おわかりいただけるだろうか。手段と目的、正しく設定できてますか?というはなし

  • 重心を射抜いてないから クルクル回っちゃうw

    ホント、プラネテスは人生の教科書w

  • 何でうまくいかんのよっ論

    宗教(仏教)的概念が混じるが。
    左2図、リソースのバランスとって、進行方向をコントロールできてる状態が、一番効率の良い成長。この”効率よく成長できるバランス”は極めて不安定な位置にあると考える。

    プロジェクトが思うように進まない場合、大概右図のような状態に陥っている。

    • リソースのどれかに執着して全体のバランスを欠いてはいないか
    • 目的を見失っていないか。手段と目的が逆になってないか
    • 洗脳され、目的をすげ替えられていないか
    • 他者に成果を奪われ、又は搾取されてはいないか
    • バランスを欠いたお節介を受けてはいないか
    • 思考停止に陥ってはいないか。興味関心が亡くなってはいないか

    土台であるリソースの垂直方向にプロジェクトは進みます。「リソースでできてる土台が大事です」 この”垂直方向”を”目的”に一致させることこそが事業主の仕事。

    よく有る邪魔は、プロジェクトの進行方向(矢印の向き)をホイホイ障ろうとする輩とか、リソースをホイホイ抜こうとする輩。こいう奴らの動きには目を光らせましょう。こいう奴らは疫病神なので、絶対に良い結果になりません。

    あと、思考停止の安心感・安定感は、一度落ちると這い上がるのに途方もないエネルギーが必要で、思考も錆びて研ぎ直すのにコストが莫大掛かるので、思考は切らさず死ぬまで色々考え続けましょうね、と

    あとは、カネとかね。女とかね。アトラクトされないよう気をつけましょうね、と ┐(´д`)┌

    政治家見てたら、この図の正しさが検証できて面白いス昨今w

  • リソースって何よ論Ⅰ

    リソースって何よ論Ⅰ

    まーよく言うのが「ヒト・モノ・カネ」

    吾はコレに、「ジカン・バショ・情報」の3次元足して、合計6次元が正しいと思った。

    これらは相互変換可能で、一番抽象度が高いのがジカンとカネ。コイツラは何にでも化けるクラス。多態性ってやつ。

    プロジェクトを進めるうえで真に大事なのは、これらの「バランス」ありゃ良いってもんじゃない。

    先人曰く「仕事はカネじゃない」「ヒトが大事」云々カンヌン
    嘘だね。

    我思うに。全部大事wバランス取って全部無いと、プロジェクトは進まん。 リービッヒの最小律(ドベネックの桶)と一緒。全部あって、一番低いところの高さで成果が出る。バランス考えずにどれかのパラメータが飛び抜けてデカいと、必ず「病害」が発生するのも一緒。

  • 興味関心→調査研究→試行錯誤論

    抽象的な ”やる気” とやらの有無は、正直関係ない
    真に重要なのは「興味関心」

    興味があれば、放っといても寝ないで勝手に調べるじゃんw
    調べたら、寝ないで実装したいじゃんw

    繰り返す。
    やる気の有無は、関係ない。「やる気が出ないからやれない」場合、往々にして「興味がない」と同義。

  • 単位自我ってゆー概念

    「欲求」と言われるもの かもしれない。

  • 蜘蛛の糸 考察(芥川竜之介のアレ)

    蜘蛛の糸 考察(芥川竜之介のアレ)

    ホトケはカンダタの眼の前に
    「切れる糸」を「ソレと気づくように」現した。
    幸いと思って糸を登り始めると、亡者に集られ糸は切れてしまう。

    なぜ、ホトケが用意した、絶対であろうはずの糸が切れるのか。おわかりいただけるだろうか。他者を蹴り落とし、自分だけが救われようとしたから?ホントにそれだけ? そして「その後」は想像できるだろうか。

    苫米地英人氏曰く

    「悟りは”座標”。点として確かに存在するが目に見えない」(異訳)

    この言葉、今回は”点”ではなく”線”。同様の解釈ができると考えると、本来目に見えないこの糸が「見える」時点で、当初カンダタは他者とは違う域に居る。

    登り始めたら切れる糸。この糸が「切れる」という表現、糸が「見えなくなった」と捉えるとどうだろう。

    また、糸は「上から下」ではない、と捉えるとどうだろう。例えば、自分が落ちている沼から這い上がる水平方向とも捉えることができる。

    集った亡者が見ていたのは、糸か?それとも、登っているカンダタの姿か?

    切れたからまた”元の地獄”に落ちて最初からやり直し、なのではなく、糸が見えなくなったその場、その時、その環境が、当初とは別の”次の地獄”なのだろう。人間、生きている限り常に地獄らしいし(親鸞曰く)

    受け入れ難い「地獄の現在環境」を受け入れ、「なら、どうする」を広い視野(≒深い視野・多くの次元)を、死ぬまで考え続けなければなりませんよね、という実に仏教的な物語。それが本作。コンテキストも含めて想像力を働かせ、どの立場で物語を観測するかで、様々な解釈ができるおもしろ話

  • 条件わるーぃは
大体いつも重なーる

    条件わるーぃは 大体いつも重なーる

    (´Д`)ハァ… ご利用は計画的に。

    条件悪いのは重なるのがデフォ。
    コレはもう、自分がどの星の下に生まれたかに依る。マジで。

    運命や自然現象はクソ真面目に正面切って戦っても勝てないのは先人が命張って証明してくれているので、その情報だけをありがたく頂いてさっさと頭切り替えて「ならどうするの」「手持ちの武器は何なの」「いつやるの、今でしょ」を考えるほうが健全で、多分楽しい。

    ココで間違っても、宗教的に盲目的に、”課題から目を逸らす”技法を学ぶ事にリソース割くのではなく、課題を正面に据えつつ、一歩引いて周りを見渡して作戦立てるのが大事